香川スポーツ
トップページ>スポーツ
香川県内のスポーツクラブ
「スポーツ」
このページでは、香川県内のスポーツクラブを紹介します。
香川オリーブガイナーズ
香川オリーブガイナーズ(かがわオリーブガイナーズ、Kagawa Olive
Guyners)は、プロ野球独立リーグ・四国・九州アイランドリーグに所属する香川県の野球チーム。2005年加盟。略称「香川OG」。
創設年度 |
2005年 |
所属リーグ |
四国・九州アイランドリーグ(独立リーグ) |
歴代チーム名 |
香川オリーブガイナーズ(2005年 -
) |
本拠地 |
レクザムスタジアム(高松市) |
収容人員 |
22000人 |
永久欠番 |
なし |
獲得タイトル |
独立リーググランドチャンピオン(2回) |
2007年、2008年 |
リーグ年間優勝(3回) |
2006年、2007年、2008年 |
リーグ優勝(5回) |
2006年後、2007年前後、2008年前、2010年前 |
球団組織 |
オーナー |
鍵山誠 |
運営母体 |
S・R・D |
監督 |
西田真二 |
概要
チーム名は香川県の木・オリーブと讃岐弁の「強い」を意味する「がいな」、そして英語の「guy」を組み合わせた造語。チームカラーは緑色。リーグ発足2年目から3年連続して年間総合優勝を達成した。
プロ野球2軍やOBチームとの交流戦や、JR四国など社会人野球チームとの練習試合も行われている。
成績
シーズン
年度 |
期 |
監督 |
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
打率 |
防御率 |
本塁打 |
2005 |
全 |
芦沢真矢 |
3 |
89 |
36 |
41 |
12 |
.468 |
9.5 |
.223 |
2.32 |
15 |
2006 |
前 |
芦沢真矢 |
2 |
45 |
22 |
18 |
5 |
.550 |
5.0 |
.261 |
2.24 |
36 |
後 |
芦沢真矢 |
1 |
44 |
29 |
11 |
4 |
.725 |
5.5(注) |
2007 |
前 |
西田真二 |
1 |
45 |
27 |
10 |
8 |
.730 |
7.0(注) |
.259 |
2.39 |
40 |
後 |
西田真二 |
1 |
45 |
28 |
13 |
4 |
.683 |
3.0(注) |
2008 |
前 |
西田真二 |
1 |
40 |
26 |
10 |
4 |
.722 |
5.0(注) |
.264 |
2.82 |
31 |
後 |
西田真二 |
3 |
40 |
20 |
16 |
4 |
.555 |
2.5 |
2009 |
前 |
西田真二 |
2 |
40 |
21 |
16 |
3 |
.568 |
2.5 |
.257 |
3.10 |
42 |
後 |
西田真二 |
2 |
40 |
20 |
15 |
5 |
.571 |
2.5 |
※青地は優勝
リーグチャンピオンシップ
- 2006年 - 総合優勝(3勝1敗:対戦は高知)
- 2007年 - 総合優勝(2勝0敗:対戦は愛媛)※前後期制覇のため、1勝のアドバンテージがあり2勝で優勝。
- 2008年 - 総合優勝(3勝0敗:対戦は愛媛)
グランドチャンピオンシップ
- 2007年 - 優勝(3勝1敗:対戦は石川)
- 2008年 - 優勝(3勝2敗:対戦は富山)
スタジアム
本拠地は香川県営野球場(レクザムスタジアム)。
準本拠地として、さぬき市志度総合運動公園野球場、観音寺市総合運動公園野球場(旧三豊総合運動公園野球場)を使用。これは全国高等学校野球選手権香川大会でレクザムスタジアムを使用する時期が中心であるが、2009年は「ファンの要望」により、5・6・9月にもこれらの球場での試合が開催された。
- 2008年より、本拠地・レクザムスタジアムを”ガイナーズボールパーク”として、コンコースにフードコートやコンビニ、インターネット設備を導入。選手紹介ボードを設置して、より楽しめる空間を目指している。また、会場に飲食物を持ち込むことは禁止されている。(ただし、病気などの理由で食事制限が必要な人は飲食物の持ち込みはできる。)
歴史
2005年(1年目)
- 1年目である2005年のシーズンは、投手を軸とした守りのチームとして戦った。先発二枚看板の伊藤秀範・捻金孝行、ストッパーの松尾晃雅を中心に投手陣はリーグ1の安定感を誇り、伊藤は最多勝、松尾は最優秀防御率のタイトルを獲得。しかしその一方で攻撃力に乏しく、チーム打率わずか.223と貧打にあえぎ、結局チームは3位に終わった。
2006年(2年目)
- 2006年は堂上隼人を筆頭に長打力のある打者を戦力補強して得点力を上げた。また、入団2年目の選手も新加入選手との激しいポジション争いで力をつけた。投手陣では、入団2年目の深沢和帆がリーグを代表する左腕投手に成長した。2006年シーズン前半は、5月に入って投打が咬み合い8連勝し、一時は高知ファイティングドッグスから首位を奪ったが、その後は高知との直接対決で勝つことができず、前期優勝を逃した。
- 2006年シーズン後半はチーム状況が好転し、序盤から勝ち星を重ね、首位を独走した。期待されていた主砲の森田丈武が復活して、堂上とともにホームランを量産し、相手投手の脅威となった。この二人とクリーンアップを組んだ若林春樹もチャンスで活躍し、チームの勝利に貢献した。投手陣は先発ローテーションに金城佳太、塚本浩二が入り、層が厚くなり、夏場の連戦をうまく乗りきることができた。後期の終盤に入り、高知が猛追したが、香川は首位をキープした。9月24日の対愛媛マンダリンパイレーツ戦に勝ち、後期優勝を達成した。個人タイトルは堂上が本塁打王、首位打者の二冠を獲得し、深沢が最優秀防御率を獲得した。
- 年間総合優勝を賭けた2006年リーグチャンピオンシップは前期優勝の高知との対決となった。結局3勝1敗で勝利し、年間総合優勝を達成した。勝因はビジターでの第1、2戦に連勝したことが大きい。最後まで高知にプレッシャーをかけ、ミスを誘った。
- 2006年10月26日、監督の芦沢真矢とコーチの森博幸が退任することを発表。2006年10月27日、新監督として前愛媛マンダリンパイレーツ監督の西田真二、新コーチとして前徳島インディゴソックスコーチの柳田聖人がそれぞれ1年ぶりに復帰することを発表。
- 2006年11月21日に行われたドラフト会議で深沢が読売ジャイアンツからドラフト5巡目で指名を受け、伊藤は東京ヤクルトスワローズから2次ドラフト(育成選手用=いわゆる練習生ドラフト)で指名を受け、プロ入りの切符を手にした(その後伊藤は支配下登録)。
2007年(3年目)
- 2007年は深沢・伊藤が抜けた投手陣の補強が懸念されたが、シーズン前半は広島東洋カープより加入した天野浩一が中心となり、松尾晃雅・塚本浩二の3人で先発ローテーションを確立させた。打撃陣も前年に引き続き、堂上隼人・近藤智勝・森田丈武で強力なクリーンアップを形成するとともに、盗塁を増やして機動力を充実させた。これらの投打がかみ合い、5月2日に首位に立つと一度も譲らず、6月24日の高知戦に勝って二期連続となる初の前期優勝を達成した。
- シーズン後半は天野がリリーフに回り、それまでリリーフだった橋本亮馬が先発陣に加わった。また、千葉ロッテマリーンズから加入した小林亮寛が主に中継ぎで起用された。前期とは一転して、愛媛(一時は高知も)と激しい首位争いをする展開になった。この間、柳田コーチが体調不良で休養・退団するアクシデントにも見舞われたが、8月下旬以降は首位をキープし、9月28日の愛媛戦に勝利して3期連続となる優勝が決まった。前後期制が導入されてから、同じ年度の前後期をともに制した最初のチームとなった。観客動員は7万1634名(1試合平均1592名)を記録し、総数ではリーグ記録を更新した。
- 年間2位の愛媛との対戦となった2007年チャンピオンシップでもシーズン中の勢いをそのまま持ち込み、2勝0敗(リーグ戦の前後期とも完全制覇達成の場合は1勝分のアドバンテージがあるため、実質3連勝扱い)で2年連続の総合優勝を達成した。四国アイランドリーグ史上初のリーグ戦前後期と合わせた年間完全優勝となった。
- 10月28日、石川ミリオンスターズとの間で行われたグランドチャンピオンシップを3勝1敗で制し、独立リーグの初代日本一となった。
- 2007年11月19日に行われたドラフト会議で三輪正義が東京ヤクルトスワローズから6巡目で指名を受け、チームから2年連続で指名者を輩出することになった。
- シーズン途中で退任した柳田コーチの後任に、前信濃グランセローズコーチの勝呂壽統が就任することが決まった。
2008年(4年目)
- リーグ拡張に合わせて、他の四国3球団とともにユニホームのデザインを変更した。
- 2008年3月29日、松尾晃雅がメジャーリーグのボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだことを発表。リーグからメジャーリーグ機構の球団に進む最初の選手となった。
- 2008年は、野手を中心に前年の主力選手がほぼ残留し、松尾・天野・小林が抜けた投手陣も塚本浩二・金子圭太・橋本亮馬で先発を形成。前期は新旧の戦力がかみ合って開幕から8連勝して独走し、6月18日の高知戦に勝利して4期連続となる前期優勝を達成した。打撃や走塁による得点力で他チームを圧倒した。後期は育成のため若手主体のオーダーを組んだ7月は貧打にあえぎ、長崎に3試合連続で完封負けを喫したこともあった。8月に入って6連勝をマークして徐々に調子を上げ、9月上旬には首位に0.5ゲーム差まで接近した。愛媛・高知・福岡と激しい首位争いを繰り広げ、終盤まで踏みとどまったが、愛媛にビジターで勝てなかったことなどが響いて3位に終わり、半期の連覇は4でストップした。個人タイトルでは森田丈武が2年連続で本塁打・打点の2冠王を獲得した。
- 2年連続で愛媛との対戦となった2008年チャンピオンシップでは、第2戦で一打逆転サヨナラ負けのピンチをしのいで敵地で連勝したことで流れを引き寄せ、3戦全勝で3年連続の総合優勝となった。チャンピオンシップでは2006年の第4戦から3年越しで6連勝、過去3年の通算でも8勝1敗とここ一番での勝負強さを発揮している。
- 2年連続の出場となったグランドチャンピオンシップは富山サンダーバーズと対戦。ホームでの最初の2試合に連勝後、ビジターとなった第3戦・第4戦は連敗してポストシーズンでは初めて相手に王手をかけられた。第5戦も先制を許す苦しい展開だったが、9回に追いつき、グランドチャンピオンシップでは初となる延長戦を制して2年連続の独立リーグ日本一に輝いた。
- 10月30日のドラフト会議において、森田丈武が東北楽天ゴールデンイーグルスに、塚本浩二が東京ヤクルトスワローズに、生山裕人が千葉ロッテマリーンズに、堂上隼人が福岡ソフトバンクホークスにそれぞれ育成選手枠で指名された。3年連続の支配下登録枠での指名はならなかったが、4人の指名はチーム発足以来最多である。
- 11月20日、発足以来投手コーチを務めた加藤博人が来シーズンから徳島インディゴソックスのコーチへ就任することが発表された。後任は前長崎セインツコーチの岡本克道。また、勝呂コーチも読売ジャイアンツのコーチに就任することとなった。後任は中本和希。
2009年(5年目)
- 本年よりユニホームの帽子が、従来の緑一色からつばの部分のみ黄色に変更された。ただし、ヘルメットは従来のままである。
- 前期は高尾健太・松居伊貴・福田岳洋が先発投手の軸となり、西森将司が正捕手に定着した。打撃陣は近藤智勝に加えて、2年目の金井雄一郎と福岡より移籍した荒木康一でクリーンアップを構成した。首位の長崎を追う展開となり、終盤には1ゲーム差まで迫ったが、九州遠征で一勝もできなかったのが響いてあと一歩及ばず、2位となった。前後期制導入以降、2期連続して優勝を逃したのは初めてである。また、前年後期に続いて目前で相手の胴上げを見ることになった。
後期はシーズン当初より上位につけ、何度か首位にもついたが、最後は高知に競り負けて前期に続いて2位に終わった。2006年以来続いていた総合優勝は3連覇でストップした。なお、後期も高知の優勝決定戦の相手となったため、シーズンでの「目前での胴上げ」は3期連続である。個人タイトルでは笠井要一が盗塁王を獲得した。
- 香川県出身の漫画家・寺嶋裕二の野球漫画「ダイヤのA」の主人公である沢村栄純が当シーズン限定のイメージキャラクターとして起用され、チームのユニホームをまとった姿でポスターや広告に登場した。
- 10月29日のドラフト会議で、福田岳洋が横浜ベイスターズより5位指名を受けた。チームからの指名者は4年連続で、支配下登録枠での指名は2年ぶりとなる。
- シーズン終了後、中本コーチは退任。岡本コーチも横浜ベイスターズコーチへの就任が決まった。後任の投手コーチには、選手として在籍経験のある地元出身の天野浩一が決まった。チームで選手経験のあるコーチは初めてである。野手コーチについては、12月に元阪神タイガースの前田忠節の就任が決まった。
2010年(6年目)
- 元NPBの前川勝彦・加登脇卓真や、復帰した伊藤秀範らを加えて積極的な補強をおこない、リーグでは初めてベンチ入り枠(25人)を超える30人を保有することになった。
- 前期は開幕から8連勝して快調な滑り出しを見せたが、5月に入って故障者が続出し、12連勝した高知に首位を奪われた。その後徐々に追い上げて終盤に逆転。リーグ史上初の「最終戦決戦」となった高知との試合を引き分けて4期ぶりとなる前期優勝を達成した。
経営
2006年のチーム分社後、積極的な営業政策を展開し、2007年からはリーグの経営補填金を実質的に受けない完全な独立採算となった。
2007年度の売上はリーグトップの1億1700万円、収支は約2900万円の赤字ながら前年より4100万円の改善と報じられた。
2008年度については発表がなかった。2009年度については2009年10月30日のリーグ首脳の記者会見で、売上1億0500万円に対して収支は4100万円の赤字の見込みとされている。
マスコット
- チームのマスコットキャラクターは、オリーブの木の精霊をイメージしており、マスコットキャラクターとしては珍しく、目が露出しないデザインである[3]。登場当時の名前は「がいな奴」であったが、TV番組等で「ガイナ君」と言われ続け、それが広まった為「ガイナ君」と変わった。ホームゲームでは着ぐるみも登場する。
応援スタイル
- 球団公認応援曲の『未来のステージへ〜 Power Of Guyners
〜』は、香川県内で活動する2人組音楽ユニット「HOUSE」による作詞作曲。夢を目指す若者へのエールが、アップテンポなリズムに乗せて歌われている。
- これとは別に、私設応援団(後述)メンバーの作詞・作曲による応援歌『勇者の雄叫び』がある。ホームゲームでは7回裏の攻撃前にこのメロディーが演奏(私設応援団の吹奏。ナイターは下記の鳴り物規制との関係から場内放送となる場合がある)されており、公認に近い扱いを受けている。この演奏後に観客席からジェット風船を飛ばすことが恒例となっている。2009年のシーズンは新型インフルエンザの流行に伴い、2009年5月22日以降はジェット風船の使用を自粛した。その後新型インフルエンザが収束したことから、2010年はホーム開幕戦より使用が復活している。
- ファンの応援スタイルは、ヒッティングマーチを歌いながらメガホンを叩くという典型的なもの。しかし、香川県営野球場では近隣住民への配慮からチーム発足当時は午後6時以降の鳴り物を使用した応援が禁止されており、2007年のシーズンまでホームゲームで太鼓やトランペットが使われることは少なかった。2008年より、土曜日曜の試合に限って午後8時まで鳴り物の使用が認められることになり、制限が緩和された。一方、2009年のシーズンからはやはり周辺環境への配慮から笛(ホイッスル・ファウルの時は除く)やメガホンを使用した応援は午後9時までに自粛されている。
- また、香川県営野球場でのナイターでは、周辺の漁港の漁の妨げにならないように配慮して、外野・ライト側の照明は落としている。(他の照明は点灯。またプロ野球は全部点灯している)
- 応援をリードするのは私設応援団「ガイナマイツ」。ファンサイトの掲示板で有志が集まり、2005年に発足した。構造的には応援団というよりファンクラブに近く、実際に応援のリードや鳴り物の演奏に携わるメンバーはこの一部である。
- 2007年春にガイナマイツは分裂状態となり規模はかなり縮小、再編。しかし有力団員によるリードや鳴り物応援を充実させてきている。
- 応援団にはガイナマイツの他に香川県職員有志応援団もあり、団旗にはガイナーズのロゴのほか、片隅に香川県のマーク「か」が描かれている。
その他
- 2009年4月、高松市牟礼町原にある道の駅源平の里むれに過去の在籍選手の使用した用具・ユニホームや優勝フラッグ・カップを展示したミニミュージアムがオープンした。
- 2010年9月より、中学3年生の野球部員に硬式野球の指導をおこなう「ガイナーズベースボールアカデミー」を2011年3月まで実施する予定である。これは県の高校野球のレベルアップが目的で、8月19日に最初のトライアウトがおこなわれ、9月に28人の入団者が決まった。監督には7月までガイナーズに所属していた深沢和帆が就任。
スタッフ・選手
選手・スタッフについては香川オリーブガイナーズの選手一覧を参照。
スタッフ
- アドバイザリースタッフ
- 中西太(元西鉄ライオンズ内野手・兼任監督、阪神タイガース他監督)
- 芦沢真矢(初代監督)
高松ファイブアローズ
高松ファイブアローズ(たかまつファイブアローズ)は、bjリーグに所属するプロバスケットボールチーム。ホームタウンは香川県高松市である。運営母体は、株式会社ファイブアローズ。2005年(平成17年)11月設立。2006-07シーズンから加入。香川県内初のプロスポーツチームであるとともに、四国初のプロバスケットボールチームである。
概要
チーム名・「ファイブアローズ (Five
Arrows)」が決定したのは2006年3月で、源平合戦の時代那須与一が現在の高松市内屋島で起こった屋島の戦いで扇を射抜いた故事にちなみ、「矢」を意味する「アローズ」が採用された。「ファイブアローズ」すなわち「5本の矢」とは、プロフェッショナルとしての意識、誇りと使命、信頼と絆、勇気、感謝を表す。
高松ファイブアローズはプロバスケチームとして優勝を目指して戦うだけではなく、ホームタウン高松市を中心に香川県各地でバスケットボールクリニックを通じたバスケ普及活動、まつりや交通安全啓発といったイベントに出演するなど、さまざまな地域活動を行っている。
チームカラー
チームカラーはチーム創設時から2009-10シーズンまでは瀬戸内海をイメージしたアローズブルー(ターコイズブルー)とアローズオレンジ(オレンジ色)。2010-11シーズンからは黒色と山吹色を使用する。
ユニフォームスポンサー
- 不明(胸)
- 高松シーズクリニック(背)
- 不明(パンツ)
- 不明(パンツ)
- 不明(練習用ジャージ)
ホームゲーム会場・練習場
- 公式戦
- 高松市総合体育館(以下・高松市総/06-07シーズンより使用)
- 高松市香川総合体育館(以下・高松香川/09-10シーズンから使用,07年にプレシーズンマッチも開催)
- 丸亀市民体育館(以下・丸亀/06-07シーズンより使用)
- 松山市総合コミュニティセンター(以下・松山/06-07,07-08シーズン使用)
- 高知県民体育館(以下・高知/06-07,07-08シーズン使用)
- 徳島市立体育館(以下・徳島/06-07,07-08シーズン使用)
- プレシーズンゲームのみ使用
- 桃太郎アリーナ(岡山市)
- 2007年10月12日、プレシーズンマッチ「VSライジング福岡」、2008年10月3日、プレシーズンマッチ「VS大阪エヴェッサ」
- 練習場
- 主に高松市牟礼総合体育館で行っている。選手達は牟礼体育館の近くで住んでいる選手が多く、選手達は牟礼体育館近辺で食事をしたり、銭湯に入るなどしているという。
歴史
bjリーグ参戦まで
2005年より活動を開始したbjリーグは発足当初からリーグ規模の拡大を目指しており、新たにリーグへ加入するチームを募っていた。全国の20を越える団体から応募が寄せられていた中で、2006-07シーズンより加入を認められたのが富山グラウジーズと、穴吹工務店がサポートする香川県のチームだった。
2006年11月のシーズン開幕に向け、まず運営会社である株式会社スポーツプロジェクト高松を設立し、監督、スタッフの選抜やトライアウト、ドラフトによる選手選考を行い、体制を整えた。
2006-2007シーズン
既存チームのプロ参入である富山グラウジーズとは違いゼロからのスタートとなったが、まず監督に丸岡茂樹、ヘッドコーチに青木幹典が就任。選手はラシード・スパークス、ジュリアス・アシュビーといった外国人、石田晃章、アイザック・ソジャナー、喜多誠らをドラフトで、テスト入団で主力となる岡田優や大阪エヴェッサから移籍した竹田智史らを獲得し、シーズンに望んだ。
初の公式戦となる開幕カードは11月8,9日にべっぷアリーナで大分ヒートデビルズと対戦したが連敗を喫する。記念すべき初勝利はホーム開幕戦・高松市総で行われた東京アパッチ戦。次のホームゲーム、大阪エヴェッサ戦では2連勝を挙げる。さらにホームで新潟アルビレックスBBにも連勝。リーグの首位争いに加わる。2月にはアーリーチャレンジで中川和之が入団。チームはさらに勢いを増し、3月18日のなみはやドームサブアリーナで行われた大阪戦で勝利し、プレーオフ進出が決定する。ファイナル4では準決勝で新潟を90-72と圧倒。大阪には78-94で敗れはしたが参入1年目にして準優勝という結果を残す。青木幹典ヘッドコーチも最優秀コーチに選ばれた。
- ホームゲーム開催会場 高松市総・・16試合、丸亀・・4試合
- ホームゲーム成績 15勝5敗(2位タイ)(1位は大阪エヴェッサの16勝4敗)
- プレシーズンマッチ 3勝2敗
- レギュラーシーズン3位 25勝15敗 ※2位、3位は得失点差による
- プレイオフ(最終順位2位)
- セミファイナル 新潟 67-79 高松 東京・有明コロシアム
- ファイナル 大阪 94-78 高松 東京・有明コロシアム
- 最多観客動員数 2,823人・・4月 1日(日) vs大分戦 高松市総合体育館
- 最少観客動員数 1,594人・・11月17日(金)vs大阪戦 高松市総合体育館
2007-2008シーズン
中川和之、アシュビーが抜け、ジョージ・リーチらが加わった2007-2008シーズンはリーグナンバーワンの得点力を武器に大阪エヴェッサとの西地区首位争いを演じる。3月に大阪が勝ちきれない中、高松は勢いを増し、1ゲーム差の2位で3月29,30日に高松市総で行われた大阪との直接対決に挑む。初戦は勝利するも、2戦目をbj史上初となるトリプルオーバータイムの大激戦の末敗北。その後、一時首位に立つも最後に大阪に逆転を許し、西地区2位で高松市総開催のワイルドカードゲームに挑んだが、西地区3位のライジング福岡に敗北。この年の高松はリーグ全体順位で2位、得点はリーグ1位を誇りながら、最後に全体順位7位のライジング福岡に敗れてプレイオフ進出を逃す悔しいシーズンとなった。5月10日に高松市総で、中国の上海西洋シャークスと国際親善試合を開催し、95−85で勝利する。
- ホームゲーム開催会場 高松市総・・14試合、丸亀・松山・高知・徳島・・各2試合
- ホームゲーム成績 17勝5敗(2位)(1位は新潟アルビレックスBBの18勝4敗)
- プレシーズンマッチ 5勝2敗
- レギュラーシーズン ウェスタンカンファレンス2位 30勝14敗
- ワイルドカード 高松 94-112 福岡 高松市総合体育館
- 最多観客動員数 3,066人・・3月30日(日) vs大阪戦 高松市総合体育館
- 最少観客動員数 1,524人・・12月 1日(土) vs富山戦 高松市総合体育館
2008-2009シーズン
オフシーズン、指揮を執っていた丸岡茂樹監督が退任。外国人選手ではレジー・ウォーレンとスティーブ・ホーンが埼玉ブロンコスに移籍したが、その埼玉から2シーズン連続リバウンド王のゴードン・ジェームスを、新潟アルビレックスBBからは2年連続でオールスターゲーム・3Pコンテストに優勝したマット・ギャリソンを獲得する。日本人では、2年ぶりにドラフトを通して高田秀一を1巡目で獲得。シーズン中、12月末に井上聡が退団。1月には「6人目のプレーヤー」として活躍した菊池宏之が負傷し2ヶ月の離脱を余儀なくされたが、中川和之が2シーズンぶりに高松に復帰。開幕から着実に白星を伸ばしていったが、オールスター前の1月18日のライジング福岡戦でジョージ・リーチが負傷し、全治6か月と診断され戦列を離脱。さらに後半戦開始直前に、アイザック・ソジャナーがウォーレン、ホーンのいる埼玉ブロンコスに移籍し、外国人選手が激減した。
しかしオールスター前の1月11日から始まった連勝は後半戦に入っても続き、中川和之が琉球ゴールデンキングスとの首位攻防戦(2月14・15日/高知)で週間MVPを、マット・ギャリソンは2月の月間MVPをそれぞれ受賞する。高田秀一の台頭も大きく、富山グラウジーズからババカ・カマラの加入により、センター不在の状況を脱出。球団新記録となる11連勝をたたき出し、首位を独走する琉球ゴールデンキングスに迫った。だが今度はゴードン・ジェームスが膝の炎症で欠場するとチームは一気に失速した。その中4月5日にホームゲーム通算50勝を達成するも、翌週に首位の琉球ゴールデンキングス、そして2位争いを繰り広げた大阪エヴェッサに4連敗し3位に転落、2位浮上をかけた最終週のライジング福岡戦でも2戦目で敗れて、レギュラーシーズンを西地区3位で終える。
大阪エヴェッサと対戦したカンファレンスセミファイナル(守口)では負傷していたゴードン・ジェームスが復帰、81-88で1戦目を落としたものの、2戦目は88-64で圧勝し決定戦に持ち込む。しかし、決定戦では大阪の勢いを止められず17-31で敗れ、2年ぶりのファイナル4進出を逃す。
- ホームゲーム開催会場 高松市総・・16試合、丸亀・・4試合、松山・高知・徳島・・各2試合
2009-2010シーズン
球団発足当時からフロアを指揮していた青木幹典HCとの契約を更新せず、前ライジング福岡HCのカール・ジョン・ニューマンを新HCとして招聘した。
日本人ロスターでは喜多誠・中川和之・野々口航太・菊池宏之が退団し、新たにドラフトで指名した堤啓士朗、埼玉ブロンコスよりFA宣言した庄司和広、前福岡の田村大輔と原口真英、練習生出身の長尾強司の5名が加入。その一方で、景気悪化に伴いメインスポンサーの穴吹工務店が撤退。新たなスポンサー探しも難航したため資金難となり、外国人ロスター4名との契約更新を見送った。そのため開幕時のチームには日本人ロスターしかいないという、bjリーグ史上初の緊急事態に見舞われた。資金難に対する打開策として1口1万円の個人スポンサー募集を開始、500口を超える応募があった。その他、松山・高知・徳島でのホームゲーム開催の取り止め、高松市からの市営施設の使用料を半額とする減免措置、高松市総合体育館より使用料の安い高松市香川総合体育館でのホームゲーム開催などで経費削減に努めた。それでも資金は5,500万不足となったが、なんとか参加には漕ぎ付けた。
開幕はアウェイの仙台89ERS戦。敗れはしたが日本人ロスター8名のみでの健闘は対戦チームブースターの感動を呼ぶ。それから少し経った頃に、前浜松・東三河フェニックスのマイケル・ガーデナーと前埼玉ブロンコスのアントワン・ブロキシー、そしてスペインリーグからテランス・ファーリーと念願の外国人ロスターを3名獲得した。その後、堤啓士朗・原口真英が退団、大分ヒートデビルズからレミントン・チャンが移籍したが1ヶ月で退団した。チャンが退団した同じ日、大阪エヴェッサからワキ・ウィリアムスが移籍したが、こちらも1ヶ月で契約解除となる。さらにファーリーも家庭の事情で一時帰国し、一時は戦えるロスターが8名(その内、外国人は2名)となったため、前大分ヒートデビルズのジェフリー・プライスと仙台89ERSの松田大地を獲得した。
しかしシーズン開幕当初からの他チームとの選手層の差を埋めるには至らず、このため勝ち星も延びず、3月28日に丸亀市民体育館で行われた大阪戦の敗戦でプレーオフ圏外の5位以下が確定する。その後は4月3日に京都府立体育館で行われた京都戦に勝利してレギュラーシーズン通算100勝に到達。5月には岡田優が週間MVPを初受賞、更には日本人選手初のbjリーグ得点ランキングトップ10入りを果たすなど明るい話題もあったが、最終的には西地区最下位で5月9日にシーズンを終えた。
- ホームゲーム開催会場 高松市総・・14試合、高松香川・・10試合、丸亀・・2試合
5月14日、運営会社のスポーツプロジェクト高松が高松地方裁判所に自己破産手続き開始の申し立てを行い、また同日付で全選手・従業員が解雇され、チームは事実上解散状態となる。直後より、リーグ、選手・スタッフ、ブースターらによる存続へ向けた活動が始まる。5月27日、来期参戦に必要な広告収入に目処が立ったため、自己破産申請を取り下げ、チーム存続が決まる。
2010-2011シーズン
7月23日、運営会社の株主総会で社名を株式会社スポーツプロジェクト高松から株式会社ファイブアローズに変更。新社長に経済産業省出身の星島郁洋を迎え、新体制が船出する。
新ヘッドコーチには前アシスタントコーチの金澤篤志が昇格。前シーズン所属した日本人選手のうち、岡田優はFA権を行使し滋賀レイクスターズへ、田村大輔は大阪エヴェッサへ、キャプテンを務めた庄司和広もトレードで新規参入チームの秋田ノーザンハピネッツにそれぞれ移籍した。岡田が移籍したため、チーム創設時から継続して高松に所属する選手は竹田智史のみとなる。他には長尾強司・高田秀一・松田大地が残留、鈴木正晃をドラフトで獲得し、菊池宏之・喜多誠が2シーズンぶりに高松に復帰した。外国人選手ではファーリーが残留、新たにライアン・ミューラーとエマニュエル・ウィリスを獲得する。
- ホームゲーム開催会場 高松市総・・18試合、高松香川・・8試合
主な成績
bjリーグ
年度 |
レギュラーシーズン |
最終結果 |
HC |
備考 |
勝 |
敗 |
勝率 |
ゲーム差 |
得点 |
失点 |
得失点差 |
順位 |
2006-07 |
25 |
15 |
0.625 |
4.0 |
83.3 |
80.0 |
+3.3 |
3位 |
準優勝 |
青木幹典 |
新規参入1年目 |
2007-08 |
30 |
14 |
0.682 |
4.0 |
92.7 |
85.3 |
+7.4 |
西2位 |
5位 |
- |
2008-09 |
33 |
19 |
.635 |
8.0 |
86.9 |
82.3 |
+4.6 |
西3位 |
5位 |
- |
2009-10 |
13 |
39 |
.250 |
21.0(16.0) |
81.2 |
91.3 |
-10.1 |
西7位 |
13位 |
ニューマン |
- |
2010-11 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
金澤篤志 |
- |
ゲーム差は()外は1位、()内はプレイオフ圏との差をそれぞれ表している。
個人別タイトル
コーチ・オブ・ザ・イヤー
ベスト5
- bjリーグ2006-07
- bjリーグ2007-08
コミッショナー特別賞
アシスト
- bjリーグ2006-07 ラシード・スパークス
- bjリーグ2009-10 マイケル・ガーデナー
スティール
ブロックショット
- bjリーグ2008-09 ジョージ・リーチ
- bjリーグ2009-10 アントワン・ブロキシー
月間MVP
- 2008年12月 ゴードン・ジェームス
- 2009年2月 マット・ギャリソン
週間MVP
- 2006年12月23・24日 喜多誠
- 2007年2月3・4日 アイザック・ソジャナー
- 2007年2月10〜12日 中川和之
- 2007年11月24・25日 レジー・ウォーレン
- 2008年1月19・20日 レジー・ウォーレン
- 2008年2月16・17日 アイザック・ソジャナー
- 2009年2月14・15日 中川和之
- 2010年4月30日〜5月5日 岡田優
bjリーグオールスターゲーム
ダンクコンテスト優勝
- 2006-07 ラシード・スパークス
- 2007-08 ラシード・スパークス
スリーポイントコンテスト優勝
その他受賞
コミュニティーアシスト賞
- bjリーグ2006-07 四国4県で地元のバスケ協会と協力してホームゲームを開催し、バスケの振興に貢献したため。
チームアシスト賞
- bjリーグ2009-10
アローズプロジェクト(高松ファイブアローズのホームゲーム開催時、会場設営や運営をサポートしているボランティアチーム) シーズン参戦が危ぶまれていた高松ファイブアローズにおいて、ホームゲームの設営撤去及びチケットもぎり等、シーズンを通して運営に多大な貢献をしたため。
スタッフと選手
高松ファイブアローズの選手一覧を参照。
応援
マスコットキャラクター
サマー&シルキー不死鳥をモチーフとしたキャラクター。2000年に穴吹工務店のスポンサードにより「サーパス」の名称を使用していたプロ野球チーム・オリックス二軍のマスコットとして誕生。その後、ファイブアローズのチーム創設時から2008年まではサーパスとファイブアローズのマスコットを兼任していた。サマー&シルキーという名前は元穴吹工務店取締役会長の「穴吹夏次」(夏=Summer)と、穴吹夏次の妻で元穴吹工務店取締役会長、現穴吹カレッジグループ代表の「穴吹キヌヱ」に由来する。(絹=Silk)2体は2007年4月1日に結婚した。
試合中は、観客席に出向き、ブースターとの交流を行っている。(観客席では、基本的にサマー、シルキー単独)また、相手のフリースロー時にブースターに混じってブーイングを行うこともある。
オフィシャルソング
- FLY HIGH!! この星の素晴らしき者たち(sachiko、作詞さいとういんこ、作曲榊原大)
スタジアムDJ
スタジアムDJはチームの新規参入時よりDJ・SU-JI(スージー)が務めている。テレビ・ラジオの応援番組にも出演していた他、FM高松の番組「BOOM BOOM SONIC JAPAN」などにも出演中。
アシスタント
- 2006-07シーズン 榎本麗美(元西日本放送アナウンサー)
- 2007-08シーズン SACHI(真鍋幸江)
- 前期はブースターと共に客席から応援をしていた。後期はサマー&シルキーと行動して試合の運営をアシストをした。また、スーパーダンクTV!にも出演した。そして女優として、007シリーズ香川ロケ誘致活動のシンボル“香川のボンドガール”を1年間務めた。香川県国際交流員で、観光短編映画「直島より愛をこめて」で共演したボンド役の外国人男性と2007年7月7日に結婚し、8月からイギリスで新生活をスタート。
- 2008-09シーズン 磯部恵美(西日本放送新人アナウンサー)
チアダンスチーム
高松ファイブアローズのチアダンスチームは2006年春に一般公募で結成され、選手同様スタジアム内外で様々な活動をしている。詳細はAROARO(アロアロ)を参照。
オフィシャルアーティスト
2010年8月、香川県出身でニューヨーク在住のアーティスト・坂本ヒロキがオフィシャルアーティストに決定した。
メディア
試合中継
テレビでは高松ケーブルテレビ、NHK高松放送局などが、ラジオではエフエム高松コミュニティ放送が試合の中継を行っている。また、インターネットのバスケットボールジャパンTVで全試合が配信されている。
外部リンク
参考文献
このページのトップに戻る